La luna di mezzanotte  真夜中ノ月

静かな時間に好きなコトをつぶやく

子ども達の居場所

フォローしている人のtweetで、
「保健室の次に図書室が子ども達の居場所になっている」というようなものがあった。

そっかぁ。保健室にも子ども達は集まるけど、図書室も結構集まってたなぁ。うんうん。

私は今、体調がよくない。今週頭から2日間続いた高熱はさがったけど、のどは痛いままだし、体がだるい。食欲はあまりもどっていない。いつもの3分の1ほども食べられない。正直引きこもりたいが、午後から出勤である。ひどいが出勤するしかない。

なんとなく今の体調にマッチしたのか、

「まぁた、あんたは!ここに逃げて来て!!」
とあきれ顔で私を受け入れてくれていた
高校時代の音楽の先生を突然思い出した。

あの頃、高校に行くのが嫌だった。

ずっとやめたかった卓球をすっぱりやめて、
別の部活動でエンジョイする予定だったのに、
結局周りの大人の意向で卓球部に。
3年生の先輩方が抜ければ、女子部員は私だけ。
中途で入部して来た同学年の子達(初心者)は、
私と「レベルが違いすぎて」すぐにやめて行った。
(今考えるとそれだけが理由ではないと思うけどね)

顧問の先生は優しくてよくしてくれたけど、
私はほんとにつまらなくて。
男子の練習にまざっても
寂しさはどうしようもならなかったなぁ。

何となく、担任の常駐している音楽準備室に出入りするようになったのだと思う。
担任は古文が専門。男性でまじめなんだけど、どことなく面白みがある人だった。
寺の住職もやっているそうで、自分のサインは必ず梵語というのも新鮮だった。
(寺の住職をするにはやはり話しが上手いほうがいいと思う)
音楽準備室の主の音楽教諭は、大柄な、定年が近いようなおばあちゃん先生。
若い頃はオペラを上演する某歌劇団に所属していた声楽家という経歴。
そして言いたい事はずばっと言うけど愛情のこもった人だった。



「まぁた!ここに逃げて来て!」

とは言われていたが、私は性懲りもなく通い続けた。
でも、拒絶するような口調ではなく、
「仕方ないなぁ」
というニュアンスがふくまれていたように聞こえたから。


新しく友達も出来た。合唱クラブに入ったのだ。
音楽室の窓を開けっ放しにして、発声練習するのは気持ちよかったな。
少しずつクラブにも人が増えてうれしかった。

あの頃の私の居場所は音楽室のピアノのまわりだった。
大柄のおばあちゃん先生とクラブの仲間がいる場所。



今の自分だから言えるのは、
初めは逃げだったかもしれないけど、
途中からは
「逃げ場所」じゃなくて
本当に自分がいたい場所をつくったんだよ。
頑張ったね。

高校時代の私へ。